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欲にまみれて人肉をむさぼる「食人鬼」 小泉八雲と上田秋成が記した物語の「決定的な違い」とは?

日本史あやしい話


■愛欲が高じて魔界に陥ってしまった僧侶を教化

 

 さて、このあたりで、前述した二つの物語を見比べてみることにしたい。最初に紹介した八雲が著した「食人鬼」では、老僧が単に生きる手段として僧侶を続けていたことがいけなかったとしているが、今ならどこにでもありそうなお話だろう。残念ながら、それを罪業とまで捉えるのは、少々無理がありそうだ。

 

 これに対して秋成版食人鬼の場合は、事情が大きく異なる。実はこの僧侶、元は篤学修行の聞こえ目出度い有徳の僧侶であった。それにも関わらず、とある美少年の稚児を深く愛するようになってしまったことで人が変わってしまった。それが、間違いの元であった。稚児が病で亡くなるや、悲しみのあまり遺体に寄り添い続けたばかりか、ついにはその死肉にまでむしゃぶりついて食べてしまったというからおぞましい。それ以降、食人鬼となって、里の墓を暴いて死体を食べる始末であった。

 

 愛欲が高じて魔境へと彷徨ってしまったこの僧侶。それを教化して、本来のあるべき姿である「本源の心」を取り戻させようと奮闘する禅師。その慈悲の心によって、とうとう仏の世界へ舞い戻すことができた…として話を締めくくるのである。

 

 ここでもう一度、前述した「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の公案を振り返ってみることにしよう。直訳すれば、「入江を照らす月明かりと松に吹く風、秋の長夜は何のためにあるのだろうか?」というあたりだろうか。何の変哲もなさそうな、秋の夜の情景を讃えたものであった。これをひたすら唱えれば、煩悩が解き放たれるというのだが、その意味、お分かりいただけるだろうか? 筆者なりに考えてみた考察で申し訳ないが、その美しい光景を淡々と見つめて無心の境地に達することこそ、物事の本質を見極めることができる、それが仏の道へ舞い戻る方策である…と、そう諭しているように思えてならないのだ。

 

 この辺りの深い思いをなぜ八雲が切り捨てて物語に組み込もうとしなかったのか、これは不思議かつ残念なことであった。上田秋成の怪談を咀嚼して八雲に語り聞かせた妻・セツが、日本語と英語を混ぜてたどたどしく語る状況の中では、この禅の本質にまで踏み込むことなどおぼつかなかったからなのだろうか。このあたり、今もって、筆者の頭の中では謎のままである。それでも、つい、ひと言言いたくなってしまうのだ。「八雲さん、どうして今一歩踏み込んでくれなかったのか?」と。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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